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『アベンジャーズ/エンドゲーム』ブラック・ウィドウ/ナターシャ・ロマノフについての考察【ネタバレ注意】

どうも、黒輔です。

 

世界的映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の公開から10日あまりが経ちました。僅か11日で『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)の興行収入を追い抜くという爆発っぷり。『アバター』(同じくキャメロン監督)を追い抜くのも夢ではない。我らがヒーローが、映画の歴史を塗り替える瞬間を目撃することになるのでしょうか。

 

先日私もようやく2回目の『エンドゲーム』を観に行きました。1回目よりは落ち着いて観れましたが、ところどころ涙ぐみましたね。また地上派放送やAbemaTV等でMCUを掻い摘みながら見返したので、気付くことが多かったです。

 

※※ここから先はネタバレ注意※※

 

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なぜナターシャ・ロマノフについて語るのか

『エンドゲーム』は重層的な映画でたくさん切り口が有るのですが、今回はブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフのことをちょっと話してみたいなと。男性である僕が女性ヒーローについてしゃべって怒られないかなという不安もありますが、トニーと同様に彼女のことについても色々と考えてしまったので、ここに吐き出しておきます。

 

また、「ブラック・ウィドウの死亡」という結末にさまざまな声が上がっているので、僕なりの声をあげておきたいなという思いもあります。中には冷静でない意見もあるみたいですし。少なくとも「冷蔵庫の女」ではないんじゃなかなーと。

 

2020年、ブラック・ウィドウ単独映画公開

アイアンマン2』から実に10年越しで公開される事になったブラック・ウィドウの単独映画。うわさ自体は前からあったので、ついに実現したか!という感じです。熱心なファンにとっては万感胸に迫る思いでしょうか。

 

ナターシャを長年演じた女優スカーレット・ヨハンソンがプロデュースを勤めるとの事ですから生半可な作品にはならないことでしょう。また、このタイミングで彼女の単独作が製作されるのはやはり大きな意味があると思います。

 

では、肝心のストーリーはどうなるのでしょうか。ベタですが、やはり「ブラック・ウィドウ」としてのオリジンを取り扱う映画になるのではないかなと。

 

ブラック・ウィドウのオリジン

「私の帳簿には赤がたくさん」「いつかそれを消し去りたい」という彼女のセリフがあります。『アベンジャーズ』でのセリフですね。(正確ではないかも)これは言うまでもなく、ナターシャが某国の暗殺者として活動していた過去を示唆するものです。訓練の最後を飾る「射殺テスト」は彼女の血塗られた歴史の始まりに過ぎません。その後、ナターシャは暗殺者としての活動を続けます。

 

ある日、クリント・バートン(ホークアイ)がナターシャを始末するために送り込まれます。しかし、クリントはナターシャを助けたのです。以後ナターシャはS.H.I.E.L.D.のエージェントとして、正義の為の活動を開始します。(S.H.I.E.L.D.は結局ヒドラに支配されていたので、皮肉な話ですが...)

 

『エイジ・オブ・ウルトロン』では、さらに彼女の過去の一面が語られます。暗殺者として任務より大事なものが出来ないように、不妊手術を受けていました。つまり、家族ができないようにされていたのです。この「家族」というワードが、彼女を語る上での大きなキーとなると考えます。

 

What Drives Her?

ナターシャ・ロマノフを突き動かすものは何だったのでしょうか。

トニーのように、過去に対する後悔や罪悪感にも見えるし、スティーブのように公的な使命に忠実であるようにも見えます。特に『アベンジャーズ』の頃はそのような雰囲気が強いと感じました。『ウィンターソルジャー』でも、誰が敵で味方なのか信じられない中でスティーブと共に行動してくれます。

『エンドゲーム』でも、スティーブに「自分の人生を生きてみては」と提案されますが、「お先にどうぞ」とあっさり返すあたり、人一倍責任感が強い。

 

ではナターシャはいわゆる「仕事人間」だったのかというと、それも違います。

 

S.H.I.E.L.D.が崩壊しても、ソコヴィア協定がきっかけでチームが分裂しても、サノスに生命の半分が消し去られても、ひたむきに「自分に出来ること」を全うしようと奔走していたのは、アベンジャーズが他でもなく、彼女にとって「本当の家族」だったから。

 

思えば、『シビルウォー』では、ナターシャが一番2つの立場の間で揺れていたし、『エンドゲーム』での失われた5年間やタイム泥棒の作戦会議でも彼女が取り仕切っていました。

 

我々視聴者は、アベンジャーズの日常と戦いを、映画で切り取られた部分しか知り得ません。ですが、ナターシャがクリント、トニー、スティーブ、ソー、バナーたちと出会い、共に過ごすことで「本当の家族」を手に入れたのだと考えると、彼女にとってアベンジャーズとの活動こそが「本当の人生」だったのではないかとすら思えてきます。

 

どちらにしろ、(トニーやクリントとはまた違って)「アベンジャーズ」だけが彼女の家であっただろうし、血の繋がった家族を持つことを許されなかったナターシャにとって唯一の心の拠り所となったことは間違いありません。

 

ヴォーミアでの死

ソウルストーンの在り処であるヴォーミアでは、「愛する者」を犠牲にしなければ石が手に入りません。なぜそういう仕組みなのかは置いておいて(魂には魂を捧げる、という理屈付けがなされていましたが)、少なくとも片思いが成立してないと石が手に入らないわけです。

 

ここでそもそも1人が犠牲にならねばならないのは、確かにつらいですが、私は前回の記事にも書いたとおり「サノスと同じ方法を用いようとする以上、同じ量の犠牲を払わなければいくらヒーローといえども筋が通らないから」だろうと解釈しました。

 

では、なぜヴォーミアへ向かうのがクリントとナターシャの2人でなくてはならなかったのでしょうか。他の適当な2人ではダメだったのでしょうか。

 

例えば、ローディとネビュラの2人、というのは考えにくいでしょう。確かに2人は短いながらも良い仲間として描かれていましたが、いくら5年間共にしていたからって、「お互いを捧げる」ほどの関係かと言われるとピンときません。視聴者にとってはさっき出会ったばかりですしね。ロケットとバナー、とかも同様。スコットに至ってはホントにさっき会ったばっかりです。(関係ないけど「ローディ気をつけて、バカが座ってる」と「今日は並盛り男か?」のセリフほんとすきBIG3も作劇の都合もあり、ここでは犠牲に出来ないでしょう。

 

クリントとナターシャの2人は、MCU第1作『アイアンマン』より前の時間軸で出会っているわけなので、それだけ絆が深いはずなのです。なので、「お互いのために自分を犠牲にできる」という関係を描くとしたら、この2人しかいなかったのではないか、と思います。『シビル・ウォー』で相対しながらも「まだ友達よね?」「優しくしろよ」と言い合える関係なのですから。

 

最後の疑問は、なぜクリントではなくナターシャが犠牲になったのだろうか、という点です。

僕はてっきり、ローニンとして闇に身を落としていたクリントが自分への報いを受けさせるのだろうか?と思いましたし、ギリギリまでそう思わせるような描写でした。しかしナターシャは自分から飛び込み、崖壁を蹴ってヴォーミアの谷底へ・・・

 

ナターシャにとってアベンジャーズは掛け替えのない存在だし、特にクリントはその中でも大恩人。そんなクリントを目の前で亡くすのは彼女にとって耐え難いことだったに違いありません。もちろんクリントだって命を賭ける覚悟は十分していたでしょうが、彼女の「世界を取り戻したい」という使命感と「アベンジャーズ」への思いがクリントの動機を上回ったのかなと。

 

・・・とか書いてたらだいたい、製作陣の解釈と合致してたみたいです。詳しくはコチラをどーぞ。

【ネタバレ】『アベンジャーズ/エンドゲーム』ブラック・ウィドウとホークアイ、なぜ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ならなかったのか ─ ルッソ監督と脚本家が経緯を明かす | THE RIVER - Part 2

 

ネビュラの話を聞いて、ナターシャはソウルストーンの入手について察していたのか・・・どうかは分かりません(そういう考察も見かけました)。もしそうなら、クリントを連れて行ったナターシャがどんな思いだったのか、察するに余りある心情でしょう。

 

 

ナターシャの死は確かにショックでしたし、復興を指揮する彼女を見たかったという思いもあります。ですが、同時に彼女の結末はあれが一番ふさわしいとも思えます。「帳簿の赤」のセリフの通り、彼女は自分の過去を悔いてもいましたし、世界と家族を元に戻す「布石」となることで、ナターシャはついに自分を許し、良きエンドを迎えられたのかな、と。

 

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