黒輔処理場

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改元を迎えての所感

どうも、黒輔です。

 

今日から新しい元号になりましたね。

 

平成生まれの私にとって、改元とは始めて体感する出来事。

せっかくの新たな時代の始まりなので、それっぽい記事を書いていきたいなと思います。

 

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元号制が苦手だった

こんなことを言うと怒られるかも知れませんが、実を言うと「元号って必要か?」ってずっと思ってたんですよね。普段、自分は「今何年なのか」ということを西暦で認識して生活しているので、何かしらの書類とか行事とかで「平成○○年」とか「昭和何年」とか言われても戸惑ってしまうんですよね。

 

や、決して、「元号制反対」ってワケではないですよ?ただ、システム屋が困るとか、カレンダー屋が困るとか、改元に関する色々な揉め事を聞くと元号が日本の社会を支配しすぎているなぁと思ってしまって。今は一世一元の制だから改元は一大事だけど、歴史的には「珍しい亀が献上された記念」とか「天変地異を受けて」とか、結構ころころと変わっているわけだし。(それだけ亀が重大ニュースだったのかもしれませんが)

 

もちろん、「昭和」だとか「平成」だとかいう時代のくくり方は日本独特でありますし、人々の意識に幅広く浸透している。「昭和ってこういう時代だよね」「平成ってこういう時代だったよね」と。それはまぁ、良い。

 

確かに伝統文化を守るのは大事だけれど、あまりにも合理性がなさすぎるんじゃないか。元号なんて使ってるのは日本だけだし、それに元々は中国で使ってたものだ。それを日本固有の文化みたいに言うのもいかがなものなのか。。。なんて思いもあったり。

 

 

元号の発表、改元を受けて

4月1日の新元号の発表、全体的に国民が盛り上がっていましたね。普段こういうイベントに対して斜めに構えがちな私でもちょっとワクワクしました。やっぱりねー日本人ってお祭り好き、祝い事好きなんだなと思いますね(笑)昔の人がよく改元してた理由がよく分かりますよね。とりあえず気持ちをリセットしたいという。

 

「令和」という元号については、正直ちょっと珍しいというか、元号っぽくない響きだな、と当初感じました。他の候補に挙がっていた「広至」とか「万保」とかのが「元号っぽい」。それもそのはず、元号で「令」の字が使われるのは初で、「レイ-」で始まる元号は1300年ぶり2回目。「令」という字はちょっと意外でしたが、「美しい調和」という意味が込められているとのことで、新時代の幕開けに相応しい、柔らかく明るいすばらしい元号だと思っています。

 

元号がはじめて日本の古典から取られたのも良いと思います。先ほど僕は「元号なんて中国の文化じゃーん」なんて書きましたが、日本のモノになった感がね、ちょっとありますね... まあ「万葉集」自体が中国からの影響を受けているという指摘もありますが、他国の様々な文化を取り込んで美しく調和させていく日本の文化によく合っているのかな、という解釈も出来たり。

 

昭和から平成になる時は、このような慶事ムードとは行かなかったそうですね。日本全体が非常に「自粛ムード」のような感じだったとか。まぁ、ニュースで「天皇陛下の体調」が逐一報道されているようでは、暗い雰囲気にもなろうというものですよね。「天皇陛下(当時)のお言葉」にもある通り、このような事態を懸念されての改元だったということで、上皇陛下の狙い通りになったと。(官房長官が「令和おじさん」として人気?が出たのは嬉しい誤算でしょうか笑

 

国家の伝統文化を尊重しながらも、過去の様式や既存の規定に囚われず全く新しいやり方を推進し成功させた、上皇陛下の聡明な立ち回りと国民を想うお心遣いには、畏敬の念を抱かずにいられません。「失われた30年」であった平成の「次の時代」を担う人々には、正にこのような考え方が必要なのではないでしょうか。

 

日本の世相においても、わたくし黒輔個人としても、平成の時代は苦い出来事が多かったと思います。しかし、私たちは前に進んで行かなければ。平成より良い時代になるように。こういう国民全体で慶事ムードを共有でき、決意を新たにできる機会と捕らえれば、元号制というのも悪くないのかもしれません。

 

令和元年。気持ちを新たに、そして時代をゼロから始めようではありませんか。